第26章 社会は必要か?
このような狭い領土で、さらにはこれほど長い期間のあいだなら、一方の首長制社会がもう一方を征服するものだと思われるかもしれない。実際には一度もそうはならなかったという事実は、人間が完全な敵でなくとも外集団を必要としていることと関係しているのかもしれない。
面白い。仮想敵の存在にも生物学的には意味があるのかー
面白いですよね〜。片方が統一することがなかったのは意図的なんですかね。休戦期間に酒を飲む儀式というのをやったということは儀礼的な戦争だったのかな。
プログラミング言語を複数学び比較し合うことでその言語の良さや欠点が分かる、みたいな話と似ているのかな
と思ってたら、そんなようなことが後半に書いてあった(↓)
それは、ある集団を社会とよぶこと──そしてその社会のメンバーを識別するためのしるしを認識すること──は、二つ以上の社会が存在する場合にのみ意味をなすということだ。
「怠け者よ、蟻のところに行って見よ。その道を見て、知恵を得よ」と、自然の熱心な観察者であるソロモン王は助言した
久しぶりにアリの話きたー!まさかソロモン王もアリに注目していたとは。。。
人々が互いを必要とするとき、自分たちをよそ者と対比させなくても共同のアイデンティティを構築することができるということを発見した
アイデンティティを構築するのによそ者と対比させる必要がないというのは良い話かも。チームとしてまとまりつつ、チーム外とも調和する可能性を感じられる。
たしかに!そんなチームと環境を作り上げていきたいですねー
疎外されることは、宗教における狂信や原理主義よりも強い動機となる。
本にあるカルト宗教に傾倒する話然り、チームを重要視する話然り、人が協働する理由を根源的なところから説明している感じがあって面白かった
全体を通して、色々な条件で人が集まった際に、そのグループ(社会)がどうなるのかの事例が多数あって興味深い章だった。
2023/5/30
それは、ある集団を社会とよぶこと──そしてその社会のメンバーを識別するためのしるしを認識すること──は、二つ以上の社会が存在する場合にのみ意味をなすということだ。
アジャイルソフトウェア開発宣言も左の価値観があったからこそ意味をなしたみたいな話と似ているのかな
対比がないと存在をしめしにくいっていうのはなかなかの問だなぁというのはつねにあるな。
存在しない仮想敵を作ってしまうのもこういうことなんだろうなあ。。
歴史のなかで唯一の社会ととらえうる事例が、ヘンダーソン島に認められる
面白い事例。著者の主張としては他者について何も知らない状態は社会ではないという感じっぽいですね。例え、ひとつの社会が全世界を征服しても、必要とされるよそ者は内部から生まれ、団結は壊れるという予測も、わかる気がする。
人間の心は、自身が作り出した私たちと彼らとが対立する世界のなかで発達してきた。そしてその世界から出現した社会はつねに、その他のいかなる社会的な結びつき以上に、人々に意義や妥当性を授ける基準点となっている。このようなアイデンティティがなければ、人は、疎外され、根なし草となり漂流しているような感覚に陥る
個人として孤独の時の辛さは想像できるけど、集団としての孤独?の状態だと他集団を必要とするのだろうか?この感覚は経験したことがないので難しいなと思いました。
たしかに自分の経験から考えるのはむずかしいですね。。書籍ブループリントでは、無人島に漂流して外集団と触れる機会を失った集団内で分裂したりするみたいな話も出ていましたが、これももしかすると集団としての孤独に耐えられなくなった末のものなのかもな。。と思いました
彼らなくしての私達( 対比なしでも存在しうる集団)はチームレベルで、社会というには程遠いっていうのは、直感的にはわかりつつ、スタートアップとか部署のスケールとかで多くの人にとって認めたくない事実になってそう。。。( 大企業では大丈夫だけども)
社会がないと人はいきていけないから、他集団との区別が必要で、そこには対立が多く存在するっていうのは、なんとも「生物だなー」っていう感想になる。理性はどんどん高くなっているものの、根本的には変われなさそう。。。っておもいつつも、そこ(他者との対比をしないと生きれないことと、理性的な生活)を両立するブレイクスルーがうまれるとたのしそう。